沖田総司この名前からあなたはなにを感じますか?またどんな人間を想像しますか?
知ってのごとくあの新撰組の一番隊長であり、この新撰組といえば、近藤勇、土方歳三、沖田総司という三羽がらすを知らない人はいないだろう、私自身すでに50代であるが、私の子らを含め、新撰組、沖田総司を知らない人はいない。
まして、この沖田総司に関する、小説は多いし、新撰組が登場する幕末では当然に主人公ならんところがあります。
また、新撰組という、これほど我が国の歴史において、たかかが一つの武装政治団体である集団がもてはやされたことはないだろうし、しかも当時賊軍であったにもかかわらずである。
すでに、140年は経過しているだろう幕末の歴史のなかで、しかし、決してあの巨大な明治維新の大波にもまれた彼ら新撰組が実際に投じた歴史的事実は決して大きくはない。
あくまでも維新という大波に翻弄され、最後には逃げまどい消滅しただけことだったのかもしれません。
幕府が安泰であればあり得ない彼ら、沖田総司を含め、新撰組であるわけです。
彼らの出現を歴史に翻弄されたといいましたが、妙なる流れの歴史に大いなるひずみが静かなる水面をざわつかせる水音と一緒に出現した、いや出現せざろうえない歴史のある意味で明治維新という激怒の空白というような真空状態が引き込んだ結果と思います。
けっして、新撰組だけが当時の武装集団ではないのだけれどもどうしてこんなにもてはやされているのか?
また、長州・薩摩・土佐・会津・多摩という言い方は失礼かもしれませんが全国で新撰組はあまり好きではないけれども沖田総司は好きという傾向方も多い、まあ、いずれにせよ沖田総司のファンは多い。
まして、近藤勇、土方歳三をぬいて、この沖田総司の人気は高い。
近頃のティーンエイジャーの(るろうに 剣心)も含め、人気は異常かもしれないし、ネット上では沖田 総司 夢 小説といったサイトがあって嬉しいことですし、好いこと思います。
後々詳しくこの沖田総司の生い立ちから、夭折して行く様を随筆調にいくつか話したいと思いますが、特に、ある意味で武装政治団体であるはずの新撰組において、かれ沖田総司においては「政治的臭い」がない。
彼の人気が実はここにあると思っています、つまり歴史的、受験勉強的には政治の世界、政治家に対する知識は必要であったも、はっきり言って人気は無い。
当時明治維新になって色々な政治家が出ました、大久保利通、伊藤博文等がいますが、この明治という国家を作った大政治家であったも、たかが剣術使いの25歳で亡くなったしがない青年の方が大いに現在人気があります。
もちろんこの人気とは一般的(大衆的)という意味です。
長々と、へりくつ的見解を、この沖田総司と、新撰組について述べましたが、この新撰組はテロリストの集団であり彼、沖田総司はだだのテロリスト集団の中の暗殺者でしかなかった・・・・と言ったら皆様はどう思われるでしょう?
おそらく、新撰組はテロリストなんかじゃない、政府(当時幕府からの養成で)雇われた正式な集団だからそんなことは無い、と言う反論があるでしょうし、そんなふうに言わないで欲しいという方も多いでしょう。
それでは、そもそもテロリストと言う言葉の定義を考えてみましょう。
これは(Wikipedia)からの引用ですが、テロの定義に関しては、テロリズムの研究者の学術的な定義や各国政府の行政機関による定義付けをしているケースもあるが、その定義自体が政治的意味合いを含む為、様々な論争がある。
確かに、それをそっくりまねて当てはめれば彼ら新撰組は武装政治団体であり、テロリスト集団でしかないし、そこで活躍した沖田総司は暗殺者でしかなく、事実暗殺を得意にしていました。
では、現在の軍事、自衛隊を含むことにせよ日本国の政治下(文民統制)の武装集団ではないのか、と言う疑問も当然ありますね。
このこと自体難しい解釈ですが、そもそもこのテロリストの語源はフランス革命時期から起きており、今とは正反対の意味合いで、いわゆる国家が強いた恐怖政治のことを指していました、つまり、ソ連時代のレーニンの粛正といったような恐ろしい政治ですね。
つまり、初心に戻った考え方で言えば、テロリズムとは国家(幕府)が薩長の反乱に対するテロ行動に対して、テロ行動をとったと言えるわけです。
つまり、お互いがテロリストであり、今で言う「好いこと」とか「悪いこと」といった次元ではないです、幕末から維新までは、そのときはそういう歴史でしかなかったということです。
つまり、新撰組、結成の目的をふくめ、京都での取り締まりの手法は、テロ集団としての条件を満たしています。
「対テロ機関はテロを行わない」というのは、ありません!そんなに素朴で無邪気な現実ではないのですね。
現在も、たとえば、CIA、KGB、MI6などの政府公認の組織をもっている国がありますが、いずれも暗殺、公然殺害、脅迫、監禁、拷問などのテロ行為を行っていることはご存じでしょう。
当然、新撰組も何件か同じような行為を行いました。
新撰組をテロ集団と思わない人が多いのは、新撰組の活動期間が短く、活動範囲が京都近辺に限られていたことが一因と思います。
全国組織で活動期間も長ければ、ナチスのゲシュタポや親衛隊、旧東独のシュタージ、チャウシェスク治下ルーマニアのセクリターテ、現北朝鮮の国家安全保衛部のように、計り知れない害悪を民衆にもたらしたかもしれません。
新撰組を正義の集団だと思いたい気持ちはよく分かります、私を含め新撰組は好きです、でもあなた達は今でこそ近藤勇、土方歳三、そしてこの沖田総司を存じていますが、当時このいわゆる「賊軍」であったために彼らは悪役に祭り上げられていたのです。
まあ、もちろん日本映画全盛のことですが、では彼ら新撰組が悪役なら正義の味方はだれ?
ご存じかもしれません、そうあの京都「鞍馬山」に済む天狗です。
その名の通り「鞍馬天狗」です、三条河原での近藤勇との決闘は有名です。
もちろんこの正義の味方の鞍馬天狗は架空にの人物ですが、実はあの「木戸孝允」当時は桂小五郎をイメージした主人公だったのです。
官軍は「正」、賊軍は「悪」という単純明快な解釈がまかり通っていた時代もあります。
歴史は、ファンの目ではなく、観察者の客観的な目で見るようにしたいものです。
今の感覚で彼らを判断すること自体まちがった考え方ですね。
つまり、敵対する国同士、思想・宗教が絡んだ場合のように、相手とほとんどにおいて話し合いがつかず、無差別に武力闘争を仕掛けてくると思っている集団をテロリスト(テロリズム)とよんでいるわけで、日本側としては正当な防衛行動であると主張しても、仮に相手側の敵国から見れば、戦闘行為(テロリスト)とよばれる場合も出てきます。
一概には難しい判断でしょう、好いようにも悪いようにも解釈できますから。
話を戻しますが、明日以降、新撰組が育った幕末と彼、幕末に生きた沖田総司と新撰組の話を私一流の考え方で逐一お話させていただきます。・・・それではまた・・・
